近所の手賀沼の支流のほとりにて
オートバイに乗り始めて31年くらいになります。
18歳で原付の免許を取って、一番最初は叔父から貰った、YAMAHAのエクセルというスクーターでした。
僕が貰ったというより、家族に貰ったんだけど、乗る人が僕しかいなかった。
そういえば母も原付免許を取りました。
エクセルで練習したんだけど、どうにも怖かったらしくて、結局乗ったのは後にも先にもあの練習の1回だけでした。
僕が短大の下宿先である叔母の団地を借りた時があって、千葉県北西部から東京の多摩市まで、エクセルで行きました。
引っ越しの荷物は確か別に自動車で運んで貰って、最後自分の体の引っ越しは、エクセルでした。
今でこそせいぜい60~70km程度の移動距離だったけど、当時の僕にとっては冒険でした。
道もよくわからない。
皇居の回りで迷子になったのを覚えています。
今みたいにスマホもナビも無い時代で。
半分泣きそうになりながら国道20号までたどり着きました。
20号まで出ればあとは多摩市まで真っ直ぐなので、とてもほっとした事を覚えています。
オートバイに特に興味があったわけではなかった僕ですが、オートバイに乗るという行為にはドキドキしてた思いがあります。
機械としての興味もなく、かといって走り屋のようにスピードにもそれほど興味はありませんでしたが、免許を取った人だけが乗る事が出来る喜びと高揚感は今でも覚えています。
そして他のどの交通手段と比べても、一番安価に遠くまで行けました。
そう、僕にとってのオートバイはとても安価な交通手段でした。
今ほど路上駐車や歩道にバイクを停める事へのお咎めが緩かったので、当時はどこでもバイクで移動していました。
ついでに飲酒運転に対しても、今より遙かに緩い風潮でした。考えられませんよね。
そうそう、まだ多摩市に引っ越す前、エクセルで予備校通学していた頃。
バイクを盗まれた事がありました。
急いで近所を探してみると果たして横倒しになったバイクををすぐに発見。
どうやら直結などは出来なかったようでしたが、シートは無残に切り裂かれていました。
世の中ほんと酷い事をする人がいるもんだと思いました。
シートは銀色のキッチンテープを貼って、その後は廃車になるまでその状態でした。
世は不良やビーバップハイスクールが流行った直後くらいの事です。