ニュースの話「池袋87歳男性が運転の自動車が10人をはねる」

※この記事はA8netのファンブログからのコピペです。

ニュースの話「池袋87歳男性が運転の自動車が10人をはねる」
2019/04/19 20:31
本日12:25分頃、東京都豊島区で表題の交通事故が起こり、30代女性と子供が亡くなられたそうです。
運転者も病院に運ばれ、事の詳細はまだ不明。

近年高齢者ドライバーの交通事故の報道をよく耳にします。
私の父親も80手前の立派な高齢者ドライバーです。
こういったニュースを耳にすると、心配になってしまいます。

対策として高齢者講習が実施されていますが、根本的な解決にはなっていないように思います。
もちろん、交通事故の減少には貢献しているだろうと思いますが、だからといって今回のような事故の被害者、被害者の家族が事故を納得して受け入れられる筈はありません。

※今回の事故が高齢者運転だからの事故だったかどうかはまだわかりません!

ではどう考えればよいでしょうか?私なりに考えてみました。

そもそも現在自動車を使用する社会の中では、危険を伴うという事をもっと認識するべきだと思います。「交通ルールを守ろう」だとか「右見て左見て、もう一度右を見て、、」という事は、当事者以外の人達が決めたスローガンです。(当事者になるかもしれない事をとりあえず考えないようにしているとも言えます)

被害者でもなく加害者でもない(なるかもしれない事は考えない)人達が決めたスローガンなのです。
スローガンを決めた人達、もしくは交通ルールを決めた人達は、なるべく事故がない方がメリットです。いや本当のメリットは、事故は多少起こったって、みなが自動車に乗らなくなるデメリットが怖いのです。

自動車産業がルールを決めた人たちに与えるメリットが大きく、ルールを決めた人達もメリットがあるからそれをバックアップするのです。
自動車には危険がつきものでは無くて、あくまで交通違反をする人のせいだと啓蒙しているのです。

※私は自動車が危険な乗り物で、この世からなくなってしまえば良いなんて言っている訳ではありません。とても便利な乗り物だと思っています。
しかし自分のメリットばかりを優先するが人が存在すると思うのです。

もちろん、こういった事を守る事により自分が危険になる確率は下がるでしょう。しかし0%には決してなりません。

例えば本気で自動車事故をなくすなら、人が歩く道と自動車が通る道を完全に分離するか、強固なガードレールで仕切る必要があります。
横断歩道にも地面収納式の柵をもうけ、もしくはすべての横断歩道を無くして、歩道橋を作る。

しかしそんな整備にはお金も時間もとてもかかり、とてもじゃないがそこまでルールを決めた人達は、メリットを受容する事を待てないのです。
10年、20年後は今よりも安全な道が増えているだろうと思いますが、全国津々浦々、完全に安心な道路が出来るわけはないのです。

歩道橋について過去に私は考えました。
どうして自動で動く車ではなくて、階段を登って降りて、遠回りになるし、疲れるはずの歩行者が、歩道橋を通らねばならないのかと。
それは、横断歩道をくぐるような道路を整備するよりも、歩道橋を作る方が、安価だからなのですね。

でも本当は横断歩道の下をくぐる道路を作る方が正しいのではないかと思うのです。
ここで自動車優先=誰かのメリットを思ってしまうのです。

話は戻ります。
横断する人を待って自動車が通行するなどと曖昧な意識の上に成り立っている交通ルールでは、事故は防ぎ切れないのです。
でもそれを知っていてもなおかつ、曖昧なルールですけど守ってね!などと言うのです。

例えば、学校での喧嘩について考えます。2人の学生の間で喧嘩が起きたとします。
学校の先生はまず仲裁します。
どちらにどれだけ非があるかはとりあえずおいておいて、まず喧嘩が起きたという先生にとってのデメリットを取り除きます。
「自分が正しい、こいつには殴っても解らせてやらなければならない!」なんて感情はスルーされます。
仲裁の後に事情を聞いてくれればまだ救われますが、必死で事情を説明しても「そっかぁ、でも喧嘩はダメ。喧嘩両成敗。人を殴るって事はとにかくどんな事情があってもいけません!」
などといわれれば、非常に理不尽な気持ちになり納得できません。

それは先生にとってのメリット(デメリットが取り除かれたというメリット)なのです。
正だとおもっている本人が本当に正しいかどうかはわかりません。どちらの言い分が正しいかなんて本当は他人には解りようがないのです。
他人は他人の事を理解しえないと認識する事が大切なのです。

これは決して悲しい事実でも妥協の産物で言っている訳ではありません。だから人とは究極信頼を築けないと言っている訳でもありません。

その事実を受け入れた上で、でも皆一緒に生きていくのだという覚悟が必要なのだと思うのです。

私は自動車もオートバイも自転車にも乗ります。
自分さえ交通ルールを守っていれば安全などとは思いません。
ジャングルの中に好きで入って行って、動物に襲われたら、そりゃ嫌ですがある意味あきらめがつきます。(それでも理不尽は感じるかもしれないし泣き叫ぶかもしれません)
でもそれでも道を行く限りそこには危険があるのだと認識するべきなのです。

それが誰かのメリットを阻害する事になっても認識させるべきなのです。
道路や自動車には危険があると言うことを煽ると、多分あちこちから非難が飛んでくると思います。
なので耳障りにならない程度に危険だと、聞き流してしまうくらいの徹底さで教えるのです。

交通ルールを守っているのに事故に遭遇してしまった理不尽さを、誰かのメリットの為に感じさせてしまっている罪を私は思うのです。

みなさんはどう考えますか?
今回は書くのが非常に難しく、ご批判もあろうかと思います。何か意見がありましたら、是非コメントをお寄せください。