「日常」という言葉を控える

「日常」という言葉を控える

通勤を毎日のルーティンだと思わずに、長い長い旅の途中だと思えば、、なんて事を過去に書いている。でもちょっと油断すればそんな事は忘れてしまって、疑いなく日常だと実感している僕がいる。

非日常、即ち旅の途中だと思おうとするのは、日々の幣束感から抜け出したいと思っているからだ。
物語を読んだり、映画やドラマを観たり、日常では味わえない感覚を欲している。
運動不足なのをファンランニングすれば、少なくとも走っている間は非日常を感じられる。
ファン柔軟体操をゆっくりとしている間も同じだ。

このブログに文章を書くのも、頭の中だけで考えるのではない事で、何かしらの感覚を求めて書いている。
そして書いている間は日常とは違う事を感じている。
そういった事を繰り返している事自体が僕の日常なのだ。
「日常」という言葉は様々な人たちが様々な事を行っている総称だ。

例えば、僕からみれば冒険を行っている人は冒険が日常だし、一日中誰かに寄り添って生活している日常もある。
決して日常=つまらない ではないのだけど、今の僕はそう感じてしまっている。

しばらく「日常」という言葉を使うのをやめる事にします。
「日常」という言葉から、なんだか抑揚がない毎日、幣束感のある毎日を思い起こさせてしまっている気がするから、、

おわり