ファンランニング ランニングなど 続かない人へ

「ファンランニング」

「ランニング」の前に「ファン」が付きます。

楽しんで、という意味ですが、健康のために楽しんで継続する事はなかなか難しいと感じる人も多いのではないでしょうか?

いかがでしょうか?

 

「楽しんで」というと例えば、「楽しんで出来なければやってはいけないのではないか?」「楽しめなければ続けられない」と変なスパイラルにハマる事はないでしょうか?

考え方で、楽しめなくなっている場合があると思うのです。

今市民ランナー人口は、ものすごく多いです。老若男女問わず街に出れば何人ものランナーさんとすれ違います。

続けられる人と続けられない人との違いはどこにあるのでしょうか?

 

例えば

「これくらいのペースだと自分に甘い」とか「もっと距離をこなさなけりゃ意味がない」とか「疲れて途中で歩いたら意味ない」など、自分で勝手にハードルをあげて、楽しめなくなる場合があると思うのです。

 

 

楽しんで走ることができないで、途中でやめてしまう人がどんなに多い事か。

「必死でやらなければ結果は出ない」という強迫観念が邪魔しているのでは?と思うのです。

 

ランニングをしていて疲れたから目標の距離より前に歩いたとします。

全くランニングをしないよりもよっぽど自分の身体にとって良い事なのに、なんだか後ろめたさを感じてしまう事はないでしょうか?

箱根駅伝に出るわけでも、マラソンでオリンピックを目指すわけでもないのです

 

普段の運動不足を解消するため、全く動かしていない身体を動かすことが目的であるのなら、そこに何も後ろめたさを感じることは全くないと思うのです。

という私もランニングをしていました。

一人で走っていました。

なぜ一人で走っていたかというと、自分が歩きたくなった時に他の人に気を使って頑張るのが嫌だったからです。

走る距離も其の日の気分任せ、コースも気分任せでした。

時には、遠くまで走りたくなって、帰りは電車で帰ってきたり。

時には歩いたり気まぐれでした。

最初はiphoneアプリなどでタイムやペースを計っていましたが、そのペースに追われるような感覚が嫌になり、計測するのをやめました。

ざっくりと気分任せで走るようになりました。

 

ちょっとゆっくりすぎるかな?(罪悪感を感じることなく)という本当にその時の自分のペースで走ると、意外と初心者でも簡単にランナーズハイを経験することができます。(走る事が気持ちよくってどこまでも走っていけるような感覚)

私の場合は、人より人や環境に急かされる事に対して拒否反応があるような気がしますが、そうやってとにかく気楽に走る事を続けて、30kmくらいだらだら走る事が出来るようになりました。

近所のハーフマラソンレースにも参加しました。

 

ハーフマラソンレースは興奮もあって、自分の思っているペース以上で走ることができたのですが、完走後は膝が痛くなって、それからしばらく走らなくなりました。

早く走れることは嬉しいですし、励みにもなりました。

しかし40代半ばで関節を故障すると治るまで結構かかるのです。

無理は禁物ですよね、、、

 

2年くらい走りませんでしたが、最近はまたゆっくりと走り始めました。

気楽にゆっくりとと思っていたのに、やっぱりどこか脅迫観念が残っていたような気がします。

 

ファンランニングです。

ちょっと走れるようになると私も調子に乗って、もっともっとと欲が出てしまっったのです。

早く走れることはあくまで二の次です。身体と気持ちにとって気持ち良いを守って、これからも走ろうと思っています。